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鉄や真鍮で物づくり schmied 1535
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「水になった村」と言うドキュメンタリー映画をみました。
久々に映画みて泣いてしまいました・・・・
舞台は岐阜県徳山村。
1957年日本最大のダムが建設されるという話が持ち上がった。
約1600人の住民たちが続々と移転地に引越す中、何家族かの老人たちは、できる限り徳山村で暮らし続けたいと戻ってきた。
そんな人達を15年間撮影した作品です。
いずれ水の底に沈んでしまう村という悲哀さを映す訳でもなく
ほんと淡々と村に戻った爺、婆の山の暮らしを映した内容です。
実は、映画を観る前はダム建設に対する否定的なドキュメンタリーだと思っていました。
ほんとは、必要が無かったダムだと言う意見もあるようだったから・・・
でもね爺、婆の村での暮らしをみていると
ほんと豊かで幸せそう笑顔が一杯。
何故かそんな淡々とした暮らしの映像にぐっと引きこまれました。
電気もガスも無くたって槇で風呂を沸かしたり。
田畑を耕し、山菜やワサビを採るために山を登る。川に、お手製の籠をしかけて魚を捕る。野菜を塩漬けにした保存食で冬場に備える。
逆にそんな生活をしている村の人からほんとの豊かさとは、問われている気持になり
気が付かされることばかりでした。
そして最後は、村を離れて綺麗な新築の家に住んでいる場所に大西監督が訪れるのですが
今まで食べ物は、畑や山から採って来たし物だったのが
スーパーで買ったラップに包まれた物ばかり・・・
ネギ一本でもスーパーに行かなくっちゃ手に入れられない生活。
あまりにもギャップがあり過ぎで悲しくなる。
そこに移り住んだ婆は、ほんと元気もなくって寂しそうだった。
いつまで経っても旅館にいるみたいだわって話してました。
その場面が僕にとって凄く悲しく思えた・・・
昔の暮らしって自然と向き合って生活しなければ餓死してしまう可能性だってあった訳で。
徳山村は、ほんと山奥で子供頃から山で暮らしてきた爺、婆にとって「生きる」って事と
豊かな自然ってのは、切っても切れな物だった。
だから最後まで村に残って生活してたのだと思う。
その場所は、決してお金で買えない価値があるって事だと思う。
物がボタン一つで何でも届く現代の便利さに助けられてる自分のいるけど
物が溢れ過ぎた現代だからこそ
埋もれてしまっちゃいけない大切な事に目を向けて行きたいなって思う。
村は、水に沈んでしまったけど
この先のストーリーがあり取材が今でも続いているって
話を大西監督から聞いてビックリ。
すごく良い映画に出会て感謝です!
みんなにも鑑賞してもらいたいな。
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